SSブログ

後ろに乗っていたのは、、 [心霊]

20190416183410.jpg

青山くんから聞いた話。

青山くんは上田くんが新車を買ったので二人で箱根のターンパイクに車ならしにドライブに行った。

この道は深い霧が立ち込めるので有名だ。

季節は梅雨前だった。

霧の中ノロノロと車を進めていた。

霧はかなり深く、10メートル先もはっきりしない。

やがて、霧が少し晴れて先が見通せるようになって来た。

しばらく進むと、前を人影らしきものが見えてきた。

近づいて行くと道路脇を黒っぽい服を着た長身の女性と幼稚園児くらいの男の子が手をつないでこちらに背を向けて歩いていた。

この道を徒歩で歩く人はほとんどいない。

「車の故障かな?」「うん、聞いてみようか」

その母子に近づいて行った。

もう、数メートルに近づくと。

親子は振り向いた。二人とも表情の無い顔だった。

と同時に、上田くんが急にアクセルをふかし車を急発進した。

「ばか、危ないじゃないか」と青山くんは上田くんをたしなめた。

「だって、あれ、、」と言ったまま上田くんは口をつぐんでしまった。

確かに通り過ぎる時、表情の無い顔で車の中を見入っていた女性を思い出すと上田くんが何を言いたいか悟った。

二人とも何かゾッとするものを感じていた。

だが、その日は他には何も変わったことは無く無事に家に戻った。


それから二ヶ月後の夏休み。

田沢湖に二人でその新車でドライブ旅行に行った。

そして、湖畔の旅館に泊まった。

夕食が終わり、部屋で酒を飲んだ。夜中になり明日のコースを確認しようと上田くんは旅館の駐車場においた車に地図を取りに行った。

しばらくすると、彼が戻って来た。

真っ青な顔をして何かを言おうとしてるが言葉にならない。

やっと「車を開けたら箱根で会ったあの母子がバックシートに乗って俺を見ていたんだ」と言い、残っていた酒を一気に飲むと布団を被ってしまった。
真っ暗な中、バックシートにもたれかかり、白く光った目でジッと上田くんを見上げていたと言う。

次の日、上田くんは車に乗りたくないからバスで帰ると言って車をそのままにして本当に帰ってしまい、青山くんは一人で鉄道旅行を続けたとのことだった。

旅館の駐車場に置き去りにした新車はその後どうしたかは聞いてない。

nice!(38)  コメント(3) 
共通テーマ:映画

追いすがる濡れ女 [心霊]

o1080091814511107968.jpg
車で起こった話だ。
 
私が学生の時にバイトをしていた防水工事会社の社長の話。
 
社長がまだ若く、大阪に住んで京都の現場まで開通したばかりの枚方バイパスで毎日通っていた。
 
その日は仕事にケリをつけたのが夜11時。いつものように枚方バイパスで帰途についた。
 
当時の枚方バイパスは街灯もあまりなく何も建っていなくてさみしい道だった。
 
真夜中だと行き交う車も無く荒野の中をひたすら大阪に向かい走り続けた。
 
ヘッドライトだけが頼りだったが車が県境に差し掛かった頃、光の先になにやら見えてきた。
 
だんだ近づいて来てそのモノをよく見ると女が手を振っている。しかもその姿は尋常でない。振り乱した髪にずぶ濡れの着物。口周りは血がこびりついているのが夜目にもはっきり分かったそうだ。
 
社長はこの世のものではないと悟り、アクセルをふかし女を通り過ぎた。
 
しかし、その女は車にすがりついて来た。 社長はまたアクセルをふかし振り払ったが女は追いかけて来た。それが後ろが真っ暗なのにバックミラーごしでも見えたと言う。
 
社長は一目散で家に戻ったが、現場には二度と枚方バイパスは通らず、迂回して通った。
 
彼はあの時は夢中で逃げたがやはり生きた人間で事故か何かで助けを求めていたらやばいな、とすこし後ろめたさも感じたという。
 
しかし、その何ヶ月か後のこと。
 
県境近くの枚方バイパス沿いで宅地開発のため、池を掬っていたら自動車が沈んでいて中には女性の腐乱遺体が見つかった、という記事が新聞に掲載されているのを社長は読んで再び恐怖が湧き上がり、さらにそれが深いものになったという。
 
付記
 
実はこの幽霊は「枚方バイパスの幽霊」として有名な話で週刊誌にもタクシーの運転手が乗せてしまい後ろから首をしめられたり、事故を起こした記事が載っていた。社長は自ら体験してしまった訳である。
先月その記事が紹介されてる本をネットで調べ購入したのだが、取り寄せるとこの記事は無くなっていた。実は私は以前もこの本を持っていたのだ。
あまりに生々しい記事なんで近隣への配慮から削除したのかも知れないが定かではない。
 
nice!(25)  コメント(4) 
共通テーマ:映画

小児病棟跡 [心霊]

img_0.jpg
 今は東京郊外の住宅地となっている西武線のk市は昔から大きな病院が多いところで知られたところだ。結核療養所や隣のH市にはハンセン氏病のZ園(今は国の研究施設となっている)をはじめとする大病院が軒を連ねている。昔は結核療養所は相当の敷地があったようだが、今はいくつかの病院に分けられている。そのK市の病院街にある小児病院の敷地の奥に木造の廃屋の病棟があって、解体予算がないのかそのままになっている。



 ある時、ある友人が先輩からその病院の診療室のベッドに浮浪者のものと思われる死体が放置されたままになっているという話を聞いた。好奇心旺盛な彼は一人で夜中に病院の敷地に進入してその病棟を探した。廃屋となった病棟は新しい建物の奥の森の中にあった。ちょうど昔の学校の二階建ての木造校舎のようだった。病棟は二棟並んで建っていて渡り廊下で結ばれていた。入り口は開いたままになっていたので難なく中に進入できた。やがて長い廊下の右手に診療室らしき部屋を見つけた。



 彼はその部屋の入り口から懐中電灯で中を照らした。部屋の中は壊れた医療器具や薬品の瓶などが散乱していた。そして机や棚がひっくり返っていて大きな地震の直後のような状態になっていた。その中に診療台みたいなものが置かれていて布団がのっかっている。一瞬、緊張したがどうせ嘘だろうとたかをくくっていたのであきらめて帰ることにした。



 しかしどうせ来たのだから何か証拠を先輩に見せようと部屋の中に入った。何かもって帰ろうと物色していて先ほどの診療台に近づいた。なんか異臭がするなと光を再び診療台に当てたとき布団と見えたものの正体が理解できた。



 それは毛布にくるまったミイラ化した死体だったのだ。落ちくぼんだ眼窩は彼を睨んでいた。



 彼は足下も危ないの懐中電灯を放り出してに闇の中を飛んで逃げたという。二.三日は食べ物も喉に通らず、夢にうなされ続けた。そしてこの話は他に先輩以外にもらして無いということだった。彼の話を聞いた私たちは早速その夜中に病院探検を決行することにした。その喫茶店が終わる午前12時を待ってマスターとママと僕たち学生5人で車でk市に向かった。k市はこの喫茶店から車で10分とかからぬところにある。病院街は鬱蒼としていて街路灯があるとはいえ車でも一人で通るのは勇気がいる。目的の小児病院の門の外に車をつけた。病院は新しい建物で不気味さは全然無かった。だが廃屋になった病棟は門を入って左側を行き森を抜けるとあるはずだった。一行は息を殺して病院の敷地の中を進んだ。

 森の半ばまで来たときだ。僕たちの進む方向からちりーんと鈴の音が聞こえた。

 「おい今の聞いたよな」

 全員は黙ってうなずいた。しかしもうあとには引けない。持って来た懐中電灯をつけて再び進んだ。廃屋となった病棟は二棟並んで建っていた。話の通り昔あった木造の学校のような建物だ。建物の間には渡り廊下があり、雑草が占拠していた。懐中電灯で辺りを探ると昇降口は封印されておらず、真っ黒な口を開けていた。



 「ここから入ってみようか」

 K高校の生徒からもらった略図を頼りにその死体のある部屋の一番近い入り口から建物に入っていった。木造の床はぎしっぎしっと軋み、子供の上履きが散乱している。廊下の壁には子どもたちがクレヨンで描いた絵が朽ち果てんばかりになって揺れていた。「ここだ」 略図通りであればこの部屋の中にミイラ化した死体があるはずだ。一行に緊張が走った。「おれはここにいる」と尻尾を巻いた奴もいた。マスターは懐中電灯で部屋を照らした。中は話の通り器具やら瓶が散乱している。問題の診療台に光を当てるとみんな眼を覆った。

 「なんだ何にもないじゃないか」

 一通り部屋を見回したマスターは気が抜けたように言った。その途端、全員緊張が解けて恐怖感が無くなっていた。

 「きっとかつがれたんだよ」

 「いや発見されて処理されたんだよ」

 怖いもの見たさで来たものの、本当にあったらどうしようとみんな思っていたので正直ほっとしたのだった。しかし本当の恐怖はまだ息を潜めていた。



 証拠写真のためにポラロイドを撮っておこうと例の部屋とか廊下とかをカメラに収めた。そしてまた入り口に戻り建物の外観を撮っていた時だ。

 「何だろう。あの建物は」

 一人が指さす方を見ると病棟の脇の奥に確かに建物がある。来たときには気がつかなかったのだ。

 「行ってみよう」

 建物は不思議な格好をしていた。木造では無く煉瓦作りで入り口らしきところは妙な装飾がされていた。

 「これは焼き場だぜ」

 空を仰ぐと黒々とした煙突が延びていた。僕はあることを思い出した。西武池袋線のk駅とA 駅の間に鬱蒼とした森から長い煙突が延びているのが電車の窓から見える。子どもの頃から何か不気味な感じがしていたのだが噂によるとあれは結核療養所で亡くなった患者を焼く焼き場だと云うことだった。今は使われなくなったのだが、昔は菌を外に出さないと云う理由で病院内で処理されたのだ。その煙突が目の前にあるのだった。僕たち一行は再び悪寒に襲われた。



 その時、森の中でちりーんと鈴の音がまた鳴った。

 「もう帰ろう」

 だれも反対はしなかった。再び木造の病棟の前を通り車を目指した。

 「何だろうあの音は」

 だれかが言って、耳を澄ますと病棟の廃屋の中をぎゅっぎゅっぎゅっと床を軋ませて何者かが歩いてくる。みんな息をひそめた。音はだんだん手前に近づいてくる。ぎゅっぎゅっぎゅっ、ちりーん・・・足音ともに鈴の音がしたと思うとどしゃーんばりばり!!腐った扉でも思いきりけっ飛ばしたような音が轟いた。それを合図に僕たちはその場から走り出した。そして一目さんに車に逃げ帰ったのだ。

 「なんだったんだよあれは」

 「分からないけどだれかがやっぱりいたんじゃないか?」

 「早く帰ろう」

 しかしマスターとママがいなかった。二人をおいて帰るわけには行かないので車の中で待っていると間もなく二人が来た。 二人の話によると、心臓も飛び出んばかりの音を聞いてママは腰を抜かしたのだがマスターは冷静だった。せいぜい浮浪者がまたいるんだろうぐらいに思っていた。しかし音がした方向を窺っているとその辺りの窓がぼうっと明るくなり、しばらくすると破れた窓から火の玉が空に向かって出ていったと云うことだった。これを見た二人はお互い口も聞かず車に戻ってきたのだった。



 この病棟の廃屋と焼き場と思わしき建物は取り壊されきれいな公園になっている
img_0.jpg


nice!(90)  コメント(3) 
共通テーマ:映画

霊界喫茶店 [心霊]

efc756bcf0e0ee9e72290083ea9e8fae.jpg
私はこの話をあるWEBの怪談サイトに投稿したところ番組「アンビリバボー」のスタッフから、ぜひ再現ビデオにしたいと要望があった。私はもう店もないが関係者は健在なので許可を取り、承諾をした。放送された番組は少し変わっていたが、下記にあるのはオリジナルの話である。


---------------------------------------------------

東京の郊外の大きな団地の商店街にその喫茶店はありました。
 マスターとママが二人でやっていて近くに住む大学生や高校生でいつも賑わっていました。
 常連たちは昼間よりも夜の方が活動的で、マスターもママも取り留めもない話が好きでいつも夜中まで営業をしていました。当然、夜中にもなると怪談に花が咲き、夜遊びをして時には幽霊ツアーなども行われていました。
 店の壁には常連のカメラマンの作品で東北の自然と農村の風景を撮った数枚の写真を飾っていました。その中に井戸端で野菜を洗う農家のおばあさんの写真がありました。おばあさんの笑顔がとても良く撮れていたことを覚えています。
 ある日、そのカメラマンが店に来てこのおばあさん亡くなったんだよねとぽつんと言って帰りました。
その晩のことです。僕たち常連たちが三四人いつものように今日の夜遊びの相談をしていました。
だれかが「この写真のおばあさん死んだらしいぜ」と言いました。まただれかが「じゃあ今日はお弔いだ」と言って壁からおばあさんの写真をはずし黒いリボンで葬式の写真のようにしてしまいました。そしてカウンターに飾り残っていた常連で一人ずつお焼香の真似を始めたのです。そして最後の僕の番の時です。天井にかけてある大きなスピーカーから突然大音響で読経が流れて来たのです。もう店仕舞いをしていたのでステレオの電気は切ってあったはずなのに悪戯好きのマスターが仕組んだんだと思い、みな顔を見合わせて笑っていました。スピーカーの声は何十人ものお坊さんが読経をしているような荘厳な感じがしました。しかしマスターだけがきょとんとしています。「ステレオの電源だれかいれた?」アルバイトの男の子が見ると電源は入っていませんでした。読経はそれから十秒くらい続いて切れました。僕たちは背筋が凍り付きました。考えてみれば突然思いついた悪戯なのですからそんな仕込みをする余裕はありません。それにステレオの電源が入っていなかったのは全員見ていたのです。
 一体あれはなんだったのでしょう。
 僕が直接体験したその喫茶店でのお話はもう一つあります。
 夏休みのことでした。夕方、僕はその喫茶店から帰ろうとしたら夕立が降ってきたのでもう少しまとうと思いカウンターの一番出口に近い席に座りなおしました。店のピンク電話が鳴りました。マスターがいなくてママが忙しそうだったので窓際にある電話にでました。電話からは中年の男の人の声で「手塚さんのお宅ですか?」と言いました。「僕が手塚ですけれどもここは僕の家ではありませんよ」男の声は少し戸惑ったようですが「でもあなたが手塚さんなのですね」「そうですけれど」「私はK(大学のクラブの後輩)の叔父です。実はKが昨日から行方不明になっていたところ、今日溺死体で見つかりました」「え」「甥は宮崎に帰省していたのです。どなたか大学の知り合いに知らせようと思っていたのですが甥はずぼらで手帳に電話帳など書いていなくて困っていたのですがあなたの電話番号がメモ覧に書いてあったのでもしやと思い電話をしました。あなたは甥の大学での知り合いですよね」「クラブの先輩です」「そうですか。良かった。お手数ですがKを知っている人たちに知らせてくれませんか」「大学には知らせたのですか?」「ええでも大学は掲示板に訃報を出すだけでそこまではしないそうです」
 Kの叔父さんの声は冷静でむしろ事務的な感じがしましたが、とにかく僕はえらいことだと思い冷や汗をびっしょりとかいていました。そして僕は知っている限りの知人に連絡することを約束し通夜と告別式の日時を聞きとうりいっぺんのお悔やみを言い電話を切りました。
 偶然とは言え、たまたま夕立で雨宿りしていた喫茶に電話が掛かり偶然にも本人がでる。しかも偶然に見つかったメモを追ってかけてきた電話だった。確かに何人かにこの喫茶店の電話番号を教えたことがある。しかしKとは3学年離れておりそんなに話したことも無かった。本当に不思議なことだとママと話していたときです。店のステレオは音楽を鳴らしていましたが突然音楽は止み、人のすすり泣く声がしてきたのです。泣き声は男女入り交じっていました。そしてそれが数十秒も続くとまた音楽に変わりました。前の読経の件があっただけにまた店にいた人たちと顔を見合わせてしまいました。ただこの時は恐ろしいという感じでは無く本当に悲しい気持ちで一杯だったことを覚えています。
 この喫茶店のステレオは霊界につながっていたのでしょうか。


nice!(96)  コメント(4) 
共通テーマ:映画

池の跡 [心霊]

暑くなってきたのでちょっと怖い話でも、、。

50代の主婦Rさんの若い頃の話。

Rさんの娘がまだ2歳だから、25年くらい前のこと。
7月に法事で東京から山形のT市の実家に娘を連れて帰ったことがあった。
実家は果物を作っている農家で敷地には果樹園の他、納屋、作業場と広い庭があった。

帰省して彼女は庭の端にある小さい離れに泊まった。部屋は六畳と四畳半の二間で普段は客を泊めるのに使っていた。Rさんが物心ついた時からこの離れはあったが泊まるのは初めてだった。

その日は午後、離れで娘の添い寝をしていた。
娘を横にしてうとうとしてるとなにか足元を這い回る気配がした。飼ってる猫が忍び込んだだろうと、気にもせず目を開けないでいた。
しばらくすると、その這い回る気配は足元からタオルケットに入り込み、やがてふんわりしたものが足腰からお腹、胸まで這い上がって来た。Rさんは猫ではなく2歳になっても乳離しない娘がおっぱいを求めて来たのかと思い目を開けた。しかし、胸に乗っているはずの娘は横に寝ていた。
胸にはふわふわしたものが張り付いて蠢いている。Rさんは初めて恐怖を感じ声を出した。するとふわふわしたものは胸から頭まで這い上がって来た。タオルケットから出てきたのは幼い女の子の顔だった。そしてRさんの顔の鼻先でニッコリするとスーッと感触とともに消えてしまった。
Rさんはもう眠ることは出来なくなり、娘を起こし母屋に戻った。夢だったか、入眠時に起こる幻覚か考えたが、あまりにも感触がはっきりしていた。
夕飯時、そのことを家族に話した。
家族は黙って聞いていたが、やがてRさんの父親が今まで言わなかったがと断り、口を開いた。
あの離れの場所は元々は池だったが埋めて家を建てた。
50年以上も前、2歳の幼児がその池に落ち溺死したという。
その子は父親の妹でRさんの叔母にあたる。
事故の時、その子の母親つまりRさんのお婆さんはRさんと同い年だった。
そのあとに池を埋めて離れを建てたのだという。
Rさんは溺れ死んだ叔母の霊が彼女を母親が来たと思い出てきたのではないかと話していた。

※このシリーズは、筆者が体験したか、体験した本人からの話です。噂やまた聞きはありません。
1559.jpg
nice!(80)  コメント(3) 
共通テーマ:映画

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。