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断片的な思い出 二 「最初で最後の家族旅行」

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小学校一年生の夏休み。父と母と僕は千葉内房に海水浴に行った。
 父はこの年に免許を取ってスバル360に乗っていたのだった。初めての車旅行である。後にも先にも家族水入らずで旅行したのはこれが一度きりであった。
 だけれど、障害がひとつあった。家の井戸のポンプが故障をして修理をしようとして父がモーターのベルトに手を掛けたら急にモーターが回り始めベルトに父の手が巻き込まれて怪我をしてしまったのである。
 しかし居丈高の父はものともしないで指に大きな包帯を巻いてスバルを運転してくれた。
 朝早く川崎からフェリーで木更津まで渡って内房の民宿に泊まった。
 この頃は海岸も人影がまばらで僕たち親子の他はあまり人もいなかった。
 母はもともと泳げないので海辺でぽちゃぽちゃやっていたがほとんど砂浜で僕たちを見ていた。父は包帯を巻いた手を水につけないようにしていたので泳げなかった。僕は父の泳ぐのが見たかったので残念でならなかった。
一度もたたないで続けて何百メートルも泳ぐところを見たかったのである。

 その頃の民宿は本当に文字通りの民宿であった。部屋は家族の居間のすぐ隣。食事も家族と一緒であった。風呂に行くのも宿の家族のくつろいでいる間を縫っていく。
 夜、僕と父はスイカを買いに行くことにした。民宿を出て大通りに出ると暗い中に八百屋があった。前から目をつけていたのだった。八百屋で手ごろのスイカを買うと宿に帰ろうと思った。しかし、宿は来た道をもどろうとするがおかしなことに海岸に出てしまった。暗い中に波の音が聞こえて来る。夜の海は不気味であった。
 「入る道を間違えたのかな」と八百屋までもどってまた行くといどうしても海岸に出てしまう。そんなに離れたところではない。せいぜい二、三分のところである。五回くらい行ったりきたりして行きつかず、八百屋に聞いてみた。何のことはない。同じ帰り道を教えてくれたのだ。仕方がないのでまた行ってみると今度はちゃんと宿に戻った。
 未だに夜迷ったことは不思議で五十年近くたった今でも父と語り草になることがある。狸に化かされたのであろうか。
 次の朝、窓を開けると目の前の土盛りに大きなミミズが這っていた。
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